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☆山口百恵

山口百恵

山口百恵(やまぐち ももえ、本名:三浦 百恵 みうら ももえ
(旧姓:山口 やまぐち)、1959年1月17日〜)は、元歌手・女優。
東京都渋谷区恵比寿駅|恵比寿出身だが、
幼少時を神奈川県横浜市、横須賀市で過ごした。
日出女子学園中学校・高等学校卒。
(中学校は品川中学卒。)(高校は出席日数が少なかったため6月に卒業。)



1972年12月、オーディション番組スター誕生!で『回転木馬』を歌い、準優勝。1973年4月、映画としごろに出演し、5月に同名の曲で歌手としてもデビュー。森昌子・桜田淳子と共に花の中三トリオと呼ばれた。当時のキャッチコピーは「ひとに目覚める14歳」。この頃から「百恵伝説」が始まった。『としごろ』でデビューした当時は比較的目立たない存在だったが、1974年『ひと夏の経験』がヒット。年端のいかない少女が性行為を連想させる際どい内容を歌うという、いわゆる性典ソング路線が話題になり絶大な人気を獲得する。歌詞の内容は際どかったが、辺見マリや夏木マリ、あるいは70年代に復活した山本リンダなどのセクシー路線の歌手と違い、百恵は年齢が低くビジュアル面では純朴な少女というイメージだった。歌とビジュアルのギャップ、それに伴うある種の背徳感が、百恵の人気を独特なものにしていったと言えるだろう。これは百恵の芸能人としての資質によるだけではなく、所属事務所やレコード会社による周到なイメージ戦略のたまものでもあった。東京放送|TBSのテレビドラマ赤いシリーズ(いわゆる大映ドラマ)でも好演。女優としても歌手としても評価され、トップアイドルとなった。1976年の「ブロマイド」の年間売上成績で第1位に輝く。当時、所属事務所ホリプロが東京都目黒区に建てた自社ビルは「百恵ビル」と呼ばれることもある。百恵はそれだけの経済効果のある大スターに成長していた。評論家の平岡正明が『山口百恵は菩薩である』という著書を発表するなど、多くの文化人に現代を象徴するスターとして語られた。歌も映画もヒットすることにより、美空ひばりに匹敵するような「女王」という称号も奉られることになる。写真家篠山紀信が百恵を度々モデルにして印象的な写真を発表していたのも有名。個性的な作風で一世を風靡した阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品で新境地を開拓したりもしていた。自曲の作家として阿木・宇崎を指名したのは、周囲のスタッフではなく、百恵本人だったとされる。1978年の紅白歌合戦では紅組のトリを勤めた。10代の歌手が紅白のトリとなったのはこれが初めてである。伊豆の踊子など多数の映画やテレビドラマで共演した三浦友和とは「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。1979年10月20日にはその役柄のイメージのまま、三浦との恋人宣言を発表し、1980年3月7日には三浦との婚約と引退を公表し、ファンに大きなショックを与える。その一方で、迫りくる引退を視野に入れた形でのレコードのリリースや公演の予定を発表。1978年のキャンディーズで定着した引退記念興業が大々的に展開されることになった。引退コンサートは1980年10月5日に日本武道館で行われ、『さよならの向う側』を歌い終えて、ステージにマイクを置くシーンはファンの間では伝説となっている。正式な引退は10月15日のホリプロ20周年記念式典である。その時に歌った曲は『いい日旅立ち』である。引退時は弱冠21歳(22歳の誕生日の約3か月前)で、芸能人としての活動は僅か7年程だった。結婚式は11月19日に東京都港区の霊南坂教会で行われた。(仲人は大映ドラマで百恵の父親役を数多く演じた宇津井健夫妻)なお引退後もだめ押し的に『一恵』(11月19日発売)というシングルが発売される等、最後の最後まで事務所やレコード会社に利益を与えた末、芸能界を去っている。同年刊行されたエッセイ『蒼い時』は、複雑な生い立ち、芸能人としての生活の裏面に加え、恋愛や性体験についても赤裸々につづられており、12月までに200万部を超える大ベストセラーになった。同書の仕掛け人といえる残間江里子にも注目が集まる結果になっている。多くのアイドルと同様、同時代を生きなかった世代は「なぜこんな普通の娘が女王だったのか?」と、全盛期の人気やカリスマ性を疑問に思うようだ。絶世の美女というわけではなく(体型に関してはライバルで親友と言われた桜田淳子の方が綺麗だという声が多い)、同世代の森昌子や岩崎宏美らと比べて歌唱力が特に優れていたわけでもない。コンスタントにヒット曲を出していたものの、売り上げ枚数などで目立った記録があるわけでもない。アイドルというものは時代と共に生き、時代と共に消えていく運命にあるだけに、それも仕方のないことだろう。百恵もそれを心得ているのか、引退後決して芸能界の表舞台に出ようとしない。その点、今もしっかりとアイドルの“生”を全うしていると言える。
引退後

引退後も常にマスコミやファンからの注目を集めているが、一貫して芸能界とは距離を置いている。ただし作詞家として活動したことがあり、1982年にアン・ルイスに提供した「ラ・セゾン」がヒットしている。そして私生活では2人の息子をもうけた。私生活に執拗に迫るマスコミと小競り合いを起こしたこともある。また偶然に三浦・山口夫妻宅に強盗が押し入る事件も発生したが、幸い大事もなく解決している。現在はキルト作家として活躍。作品が東京国際キルトフェスティバル等の展示会に出品されることも多い。その作品の完成度から、元トップアイドルという肩書きではなく支持を集めている。節目ごとに無数のベストアルバムが発売されている。デビュー30周年にあたる2003年には未発表曲1曲を含む24枚組CD BOX「MOMOE PREMIUM」が発売され、このヒットによりブームが再燃した。レコード会社の商業戦略という側面も否めないが、ブームとは関係なく永遠のアイドルスターであり、戦後日本の歌謡界においては美空ひばりに次ぐ伝説的存在となっている。ポスト百恵として歌謡界のトップスターとなったのは、百恵の引退と入れ替わるようにデビューした松田聖子であった。1980年のシングル『謝肉祭』は、歌詞の中で連呼する「ロマ|ジプシー」という言葉が差別的表現であるとして1990年代後半以降レコード会社が発売を自粛した。このためベスト盤CDや引退コンサートのCD・DVDも不完全な形で発売していた。しかし2005年5月25日発売の「コンプリート百恵回帰」にアレンジバージョンが収録される形で復活し、2006年1月18日発売のライブCD・DVD BOX「MOMOE LIVE PREMIUM」での、引退コンサートは『謝肉祭』を含むノーカット版が収録された。引退25年・ホリプロ創立45年にあたる2005年、山口百恵の楽曲を使用したトリビュート・ミュージカル「プレイバックPart2〜屋上の天使」が上演された。ホリプロ創業者の堀威夫によれば、ABBAの楽曲を使用したミュージカル「マンマミーヤ」がヒットしたことに刺激され、何れは人々の記憶から薄れていく可能性がある山口百恵の存在を守っていくのが使命であると考えているとのこと。
記憶から薄れていくことに抗う、という意味の主張を自著「百恵讃〜学生たちと先生の山口百恵」を通して展開している、同志社女子大学助教授、影山貴彦との符合性も興味深い。
音楽


シングル

*としごろ(1973年5月21日)
*:作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:都倉俊一
*青い果実(1973年9月1日)
*:作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二
*禁じられた遊び(1973年11月21日)
*:作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二
*春風のいたずら(1974年3月1日)
*:作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野俊一
*ひと夏の経験(1974年6月1日)1974年紅白歌合戦で使用
*:作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二
*ちっぽけな感傷(1974月9月1日)
*:作詞:千家和也、作曲:馬飼野康二、編曲:馬飼野康二
*冬の色(1974年12月10日)
*:作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二
*湖の決心(1975年3月21日)
*:作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:森岡賢一郎
*夏ひらく青春(1975年6月10日)1975年紅白歌合戦で使用
*:作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:穂口雄右
*ささやかな欲望(1975年9月21日)
*:作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二
*白い約束(1975月12月21日)
*:作詞:千家和也、作曲:三木たかし、編曲:萩田光雄
*愛に走って(1976年3月21日)
*:作詞:千家和也、作曲:三木たかし、編曲:萩田光雄
*横須賀ストーリー(1976年6月21日)1976年紅白歌合戦使用
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄
*パールカラーにゆれて(1976年9月21日)
*:作詞:千家和也、作曲:佐瀬寿一、編曲:船山基紀
*赤い衝撃(1976年11月21日)
*:作詞:千家和也、作曲:佐瀬寿一、編曲:馬飼野康二
*初恋草紙(1977年1月21日)
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄
*夢先案内人(1977年4月1日)
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄
*イミテイション・ゴールド(1977年7月1日)1977年紅白歌合戦使用
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄
*秋桜(1977年10月1日)
*:作詞:さだまさし、作曲:さだまさし、編曲:萩田光雄
*赤い絆<レッド・センセーション>(1977年12月21日)
*:作詞:松本隆、作曲:平尾昌晃、編曲:川口真
*乙女座宮(1978年2月1日)
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄
*プレイバックPart2(1978年5月1日)1978年紅白歌合戦で使用
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄
*絶体絶命(1978年8月21日)
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄
*いい日旅立ち(1978年11月21日)
*:作詞:谷村新司、作曲:谷村新司、編曲:川口真
*美・サイレント(1979年3月1日)
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄
*愛の嵐(1979年6月1日)
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄
*しなやかに歌って(1979年9月1日)1979年紅白歌合戦で使用
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:川口真
*愛染橋(1979年12月21日)
*:作詞:松本隆、作曲:堀内孝雄、編曲:萩田光雄
*謝肉祭(1980年3月21日)
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:大村雅朗
*ロックンロール・ウィドウ(1980年5月21日)
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄
*さよならの向う側(1980年8月21日)
*:作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄
*一恵(1980年11月19日)
*:作詞:横須賀恵(山口百恵)、作曲:谷村新司、編曲:萩田光雄




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